Yuna's Blog


Shame
07/06/2010, 01:14
Filed under: other

恥の文化

『日本は恥を知る文化だ』
この言葉を耳にしたのは、NYに住んでいた頃。
他民族国家のアメリカだということもあり、自分が日本人だという意識を強く感じ、他と比べることで合点と思うことが多々ある。
確かに自分自身にも当てはめられることなので、充分納得出来る。私が持っている教本のタイトルにも『プロとして恥ずかしくない、、、』という言葉さえ使われる程、日本人は恥をかくことをとても嫌がる民族なのである。

武士道は日本人の恥を知る文化を最も解りやすく象徴している。
恥をかくくらいなら、切腹。そういう生き方が美とされた。

日本で最も過酷といわれ、生死をさまよう程のとても厳しい修行である、比叡山の千日回峯行。遂行出来なければ、どんな理由であっても切腹しなければならない。何千人にも支えられながら行を行い、千日回峯行を成し遂げた行者たちの前で『恥』をさらすことになると行者は必死になれるのだ。

『恥を知れ』
これには正と出る場合もあれば、負と出る場合もある。

マナーを守る。協調性を持つ。粗相をしない。他人に迷惑をかけない。
日本人にとっては当たり前のことで、大抵誰でもが持っているモラル。
規律があり、秩序がある。真面目がゆえに、恥じることを極端に嫌う。

電車の中で通話をしない、ゴミを散らかさない。
スピーカーの音は少量にして、他人に迷惑をかけない。
そういったモラルは歌われ、マニュアル化された事に関してはきっちっと守るのが現代日本人。
外国人が日本に訪れた時に持つ印象の一つでもある。

その反面、枠から外れると恥だと思うばかり、自分から実行するということをなかなかしない。
それがゆえに臆病になってしまい、本当に『恥じるべき点』をはき違えているように思えて仕方がない。
最近では『空気を読む』という言葉も使われ、場の空気を見出さないという風潮があるが、空気を乱すことを恐れて自分の本音を言いたくても言えない環境を創りだしている社会はどうなんだ?恥をかかないようにするがゆえに、本当に恥かきなのは自分自身であるという自覚がないように感じる。

事例に出して申し訳ないが、こんな具合に応用が聞かずマニュアル化された善悪の範囲だけで物事を判断し、自分から行動を起こさなくなっている人が最近みられる。
先日は自転車同士の衝突事故にたまたま出くわし、誰も処置していない状況だったので駆けつけた。衝突した若い男性はオロオロとするばかりで何もせず、女性の方は怪我をしているのか動こうとしない。すでに野次馬の二人の初老の女性が『どうせスピード出してたんでしょ』『どっちも悪いわ』などと、大きな声で自分の意見が最も正しいかのように話し合っている。苦痛に一生懸命耐えようと小刻みに震え、その場から一ミリたりとも動けない女性を目の前にしながら、迷惑そうな顔をして主張し合っているのである。大人が3~4人もいるのに、誰ひとりとしてうずくまっている女性を助けようとしない。オドオドする男性と文句だけ言う初老の女性二人。そのことに気づいた私はすぐに自分が出来るだけの対応処置をしてその場を去ったが、怪我をした女性の立場になれば、事故の善悪の判断を下されることよりも、本当に欲しいのは人の手。そして何よりも人の心だろう。事故を起こしてしまった二人に対して『恥を知れ』と言わんばかりの野次馬2人。。本当に恥を知らなければいけないのは誰だか、ね。

女性専用者に間違えて乗ってしまった男性に対して『恥を知れ』と言わんばかりに轟々の非難をする女性の乗客。人が冒したちょっとした間違いを許す心を少しでも持てないのだろうか?許す心が持てなかった狭い心を持った自分も恥だということを完全に忘れてしまっている。

物事には裏と表がある。性格の短所と長所も紙一重である。けれどそれは決して善悪ではない。見方によれば善で、ある全く別の見方をすれば、それは悪でもある。善だと思ってやっていたことが悪だったということも大いにある。
善悪はその人の価値観次第。どこにもマニュアルなどない。あるとすれば、人のこころ。善悪の評価よりも大事なことはたくさんあるし、それを決めるのも人のこころの持ち方次第でしょう。

マナーに関する広告が日本では目立ち、それに関しては大抵の人が守っている。マナーだから、と。逆に言うとそういう広告がないと行動しない。他人に迷惑がかからないようにと配慮するということからくるのではなく『書いてあるから』である。基本は基本で有るべきであり、それが人間がつちかってきた知恵である。けれど、マニュアルでしか行動出来ない人たちのために、いっそのこと人助けをしなければならないという決まりがあっても良いのかもしれないと思わざるをえない出来事でした。

過剰に反応していると思われるかもしれないが、小さな平和、身近な平和をひとりひとりが求めていくことで地球は愛の溢れる惑星になれるのではないだろうか。ひとりひとりの意識が少しでも平和に向かっていきますように。
きれいごとはなんとでも言える。批判批評も誰でも出来る。実際に行動することはなかなか大変なこと。自分自身もまだまだ未熟だけれど、それを理解した上で言葉に置き換えることを心がけたい。

自分自身もまた日本人として、恥を知る人間の一人であるからこそである。


2 Comments so far
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はじめまして

この世には悪いこと、まちがっていることなんて
ほんとうはなにひとつないんじゃないか

そんなことを感じ始めていた近年でしたので
深く共感いたしました

自分自身、よほど注意深くしていないと
すぐに、もうそれは無意識のレヴェルとゆっていいほど
他を批判してしまいがちですが
人が人を批判する、なんてことは
到底できっこないんだと思います

すこしずつでもいいから
まずはじぶんの意識からかわってゆきたいです
愛を持って

長々と失礼いたしました

Comment by gwachi

こんにちは。
コメントありがとうございます。

人が人を批判する、人が人を管理する、人が人を取り締まる、、、そんな悲しいことが今の世の中にはまだ存在しています。地球上のみんなが愛情を持って接することが基準になれば、愛溢れる、楽しく素敵な世の中になるでしょうね。

私も、まずは自分の意識から変えてゆき、こうして共感してくれる方が少しでも増えるように、自分の言葉と行動で伝えてゆきたいです。

ありがとうございました。

Comment by Yuna Yagi




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